ホストホスト体験記5

ドンペリコールだ。


ドンペリをオーダーしたお客様に感謝の意味を込め、ステージに上がってもらい、店中のホストが一斉に集まる一大パフォーマンスだ。


はじめに「飲みキャラ」が現れた。色白で金髪のサングラスをかけた背の低いホスト。上半身裸だ。長年のホスト生業のためか、若いのに腹は太鼓のように出ていて痛々しい。


その彼が一気に走り壇上に上がる。白のドンペリ一本が渡される。お客様は、(やはり)金髪でパンダメイクで黒い肌。風俗嬢だろうか。彼女にも白いドンペリ一本が...

開けたと同時に噴出す泡は店名の金色のロゴの入った壁に勢いよくぶちまけられた。店の高揚感はピークに達する。


それから爆音のBGMの中、ホスト一同が壇上を見上げ跪く。歓声の中、飲みキャラの彼はほんの一瞬で飲み干す。彼女はそんなもの一気に飲み干せるわけがなく、代わりに違うホストが残りをラッパ飲み。


あ、やっと終わった

と思えば、跪くホストの中から(彼女の指名ホストだろうか)「ロゼ!、ロゼ!ロゼ!」とコールが上がる。(ロゼは白より高い)

彼女は歯に噛み笑顔でOKし、何処からともなくロゼが2本差し出される。またしても一気飲みだ。彼女は今回はハンディでロックグラスの中に満たしたドンペリを一気飲み。拍手が上がる。


(トイレで弱音を吐いていた)同席の先輩ホストによると、一本最低でも12万はするとのこと。すると今のドンペリコールだけで最低でも50万はする。開始から終わりまでの賞味10分で50万...

50万あれば、写真学校の年間学費、3ヶ月撮影旅行いるなぁ、ハッセルブラッド(中判カメラの「ライカ」みたいな高級品)フル装備新品で買えちゃうな、デジカメもいけるな、など勝手な勘定をしてしまう俺がいた。


僅か10分で得られる優越感。そして。入れ上げてるホストのランキングを上げてるのは私!という「育ててあげてる感」の充足。 酒池肉林というコトバが浮かんだ。




マズロー欲求段階説

人間の欲求の段階は、生理的欲求→安全の欲求→親和の欲求→自我の欲求→自己実現の欲求がある。ピラミッド状に上に進めば進むほど高次の欲求である。

果たしてこのドンペリコールの欲求は何なのだろう。物欲でも生理的欲求でもない。意外に高次な欲求なのだろか、それとも物欲に即した低次ものなのだろうか。




俺のいた席のサヨリはかわいいものだ。真露一本にお茶だけで引っぱる引っぱる。所謂「細客」だ。(「太客」とは月に100万落とすお客さん。「極太」となると一日で100万だそうだ。)

それでも小サイズの真露は酒屋ではは700円前後なのが、ここのホストクラブに置かれた途端8000円になるし、お茶1リットル(恐らく裏方さんが入れたもの)で1000円だ。水商売とはこういうことなのだ。


ドンペリコールの終わった辺りから激しい疲労感が襲った。


思えば、昨日は親父が上京して、夕方から関西から遊びにきた友達と東京観光して、今日は仕事終わって歯医者行って、そのあと新宿でまた友達に会って、ここに来たわけだから当然かもしれない。


マネージャーのリクさんが店に入る前に「雰囲気に耐えられなくなったら声かけて出てください」と言ったことを思い出した。


サヨリも相当まったりモードだ。30分くらい経っただろうか。係りの人から控え室に戻るように指示された。どうやら約束の「始発の時間」らしい。内心ホっとする。


自分のグラスを飲み干し、サヨリや同席のホストに「ありがとうございました」と一礼し退席した。



控え室に戻る。 



リクさんが「ありがとうございます!」と体験入店で一緒だった溶接工二人組と硬い握手を交わしていた。現在の静岡での溶接の仕事を辞めて入店を決めたらしい。

彼の人生の分岐点に居合わせた気分だ。続いて大学生二人組も同様に入店することになった。ある一線を越えた彼ら。これからどんなことが待ちうけてるのだろうか。



そして俺の番...



「ナツキさん、お疲れ様でした。今晩入店してみてどうでしょう、これから」


「いや、ちょっと雰囲気が合いませんでした」


「ナツキさんは、実年齢より若く見えるので問題ないですよ。取り合えず、6日間の研修期間受けてみて一通りのマナーを覚えて、出来れば週一ペースでもいいので出てみませんか?」


随分と押しが強い。

今後の撮影日程、今の肉体労働の日取りのバランスを考えてなどいろいろ言って納得してもらい、丁重にお断りした。


あの青森くんも店内で「地元では仕事ないから東京で一旗上げる」と息巻いてたし、知っている範囲内で体験入店者8名中、5人が入店することになった。

湘南台のフリーター&ニート君はどうしたのだろう。彼らもOKなら俺だけが"晴れて"唯一の「落第生」だ。


スーツを脱ぎ私服に着替え、サンダルに履き替え、リクさんにお礼を言って控え室のバーを出た。



もう朝だ。


鉛色の重たい雲が低く垂れ込め、ムラっとする湿った空気。今にも雨が降り出しそうだ。


帰りの電車から新宿の街が見えた。


今まで「新宿」をそれなりに把握しているつもりだった。街の一角一角に、あの日あの時の記憶があちこちに散りばめられている。

今回、ほんの一夜だけ歌舞伎町のビルの一室に身を置いただけだが、虚栄と儚さと刹那さ、優越感がない交ぜになった、カネと時間を高密度で消費する新宿という街の違った一面を見た気した。「新宿」の印象に一石を投じられた思いだ。


帰宅し、煙草の煙と汗で汚れた身体を洗いにコインシャワーへ急いだ。


かび臭いシャワー室。蚊がいた。百円玉をチャリンと入れ、「約束の3分間」で思いっきりその日を洗い流した。

3分後。


機械的に--自分の意に反し---シャワーの水が止まった。



その瞬間、日常に戻った。




俺には、ヘルメットと安全帯が良く似合う。

汗水流してクタクタに働くほうが向いているようだ。

俺の香水は、やっぱり汗なのだ。





----- おわり -----




追記
これからも書を捨て街に出ます。さて、次回はどうしましょうか。