アメリカ労働体験記3

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日曜日。フィラデルフィアのチャイナタウンからおんぼろバスに乗って1時間半。ニューヨークの街が見えてきた。遠くに見えるそれは新宿の高層ビル群のようだ。

いよいよ街に入って気分も高まる。

バスの終着点はチャイナタウンの混沌とした路上市場。何ら中国と変わらない。生まれて初めてのNYで発した言語は日本語でもなく英語でもなく、中国語だった。バスのオッサンとの帰りの乗車場の確認でだ。

中学一年の英語の教科書の見開きに、英語の話されてる国が(これ見よがしに)世界地図と一緒に出ていたのを思い出す。そこにNYの写真もあったが、まさか彼の地での第一声が中国語とは、16年前の厨房の俺自身、想像していなかっただろう・・・。


福建の小吃店で小籠包と米麺の昼食を取って、ブロードウェイを歩く。皆ここでは、信号無視だ。着いた先はワールド・トレードセンター跡地。

9.11の面影は無く、数年後に建つリバティ・タワーの建設現場になっていた(写真)。当時の写真(飛行機が激突するところなどではなく間接的なもの)が展示され、観光地と化していた。嬉々として記念撮影してる人も多い。

ここでの出来事が、アフガン、イラク戦争の悲劇、不条理があると思うと複雑な気持ちになる。

そこから六番街を1丁目から26丁目まで歩き、Uターン。13丁目あたりでイタリア系の初老のアーティスト(絵描き)と出会った。ブルックリンの彼の家まで地下鉄に揺られ20分。

降り立った駅は重厚なアパートメントが立ち並び、歴史が滲み出た石造りの教会が散在している。街路樹は赤や黄に染まっていた。彼の家は映画にでも出てきそうな古いアパートメント。部屋が7つもあって生活感のないお洒落な調度品で溢れていた。(写真)


地下鉄でチャイナタウンまで戻り、夜遅く帰宅。


ニューヨークの中心を成すマンハッタン島(*1)は、丁度山手線の内側と同じ面積だという。その中に世界中から多くの人が集まり、るつぼとなって、ハイブリット・パワーを発し世界の経済と文化の大きなウエイトを占めている。パクス・アメリカーナアメリカによる世界秩序、世界平和)の中心地だ。(*2)

黒人がいて、白人がいて、ヒスパニックがいて、中東系がいて、(我々)東洋人がいて、地下鉄の車内では、カップルがディープキスし合い乗客同士がニンマリし、パンクなモヒカンもいて、子供の物乞いもいて、颯爽と風を切って歩くモデルのような女性もいる。全てが渾然一体となっている。


この街をもう少し歩き、街の匂いと熱量を感じてみたい。




*1 マンッタンの地図を見ると隅田川と荒川に挟まれた中州の江東区墨田区(深川など江戸時代のメジャーな場所)と地勢が似ている。

*2 良いか悪いかの話は割愛します。