アメリカ労働体験記4

 

喫煙者に厳しい国。アメリカ。

マルボロが一箱6ドル近くします。この国!
免税店で買った煙草も底を尽き、いよいよ高額なタバコを買わないといけないかなと思っていたら、、、、


抜け道があった。


俺の住んでるニュージャージー州ののお隣デラウェア州では、
マルボロが3ドルちょいと地元の半額。
日本で東京より埼玉のほうがタバコが安いなんてありえないから不思議な感覚だ。

今日はタバコ買出しツアーでTakaの車で一時間、紅葉のきれいな道を走り、デラウェアのとある町へ。

夜になったら治安が悪化しそうな殺伐とした黒人街。
完全に白人と住み分けされていて白人は皆無。

一軒目。インド系の人がやってる酒・タバコ屋。
2カートン買って少し安くなった。ID(俺の場合、パスポート
)を穴が開くほど見られた。

二軒目。雑貨屋さんなのに留置所の面会室のように分厚いプラスチックでカウンターと遮られ、商品も人も全部プラスチック越し。ここではまとめ買い不可なのであきらめる。

三軒目。ここも雑貨屋+ファーストフード店。カウンタには何故か韓国人。聞けば店主は中国人らしい。IDも必要ないと言われ面食らう(笑) 揚げ物のファーストフードで繁盛して黒人のお客さんが耐えない。

そんなわけで、今日は4カートン買って120ドルの節約。

アメリカは何処の店も(夜の盛り場でも)禁煙。
だけど、聞いていたほど喫煙者には厳しくはない。
建物の中は禁煙でも屋外なら何処でも吸えるから、千代田区みたいな感じではない。


おいおい今やってる仕事のことも書いていきます。


アメリカ労働体験記3

f:id:yueta:20181125224220j:plain  f:id:yueta:20181125224227j:plain  f:id:yueta:20181125224238j:plain

 

日曜日。フィラデルフィアのチャイナタウンからおんぼろバスに乗って1時間半。ニューヨークの街が見えてきた。遠くに見えるそれは新宿の高層ビル群のようだ。

いよいよ街に入って気分も高まる。

バスの終着点はチャイナタウンの混沌とした路上市場。何ら中国と変わらない。生まれて初めてのNYで発した言語は日本語でもなく英語でもなく、中国語だった。バスのオッサンとの帰りの乗車場の確認でだ。

中学一年の英語の教科書の見開きに、英語の話されてる国が(これ見よがしに)世界地図と一緒に出ていたのを思い出す。そこにNYの写真もあったが、まさか彼の地での第一声が中国語とは、16年前の厨房の俺自身、想像していなかっただろう・・・。


福建の小吃店で小籠包と米麺の昼食を取って、ブロードウェイを歩く。皆ここでは、信号無視だ。着いた先はワールド・トレードセンター跡地。

9.11の面影は無く、数年後に建つリバティ・タワーの建設現場になっていた(写真)。当時の写真(飛行機が激突するところなどではなく間接的なもの)が展示され、観光地と化していた。嬉々として記念撮影してる人も多い。

ここでの出来事が、アフガン、イラク戦争の悲劇、不条理があると思うと複雑な気持ちになる。

そこから六番街を1丁目から26丁目まで歩き、Uターン。13丁目あたりでイタリア系の初老のアーティスト(絵描き)と出会った。ブルックリンの彼の家まで地下鉄に揺られ20分。

降り立った駅は重厚なアパートメントが立ち並び、歴史が滲み出た石造りの教会が散在している。街路樹は赤や黄に染まっていた。彼の家は映画にでも出てきそうな古いアパートメント。部屋が7つもあって生活感のないお洒落な調度品で溢れていた。(写真)


地下鉄でチャイナタウンまで戻り、夜遅く帰宅。


ニューヨークの中心を成すマンハッタン島(*1)は、丁度山手線の内側と同じ面積だという。その中に世界中から多くの人が集まり、るつぼとなって、ハイブリット・パワーを発し世界の経済と文化の大きなウエイトを占めている。パクス・アメリカーナアメリカによる世界秩序、世界平和)の中心地だ。(*2)

黒人がいて、白人がいて、ヒスパニックがいて、中東系がいて、(我々)東洋人がいて、地下鉄の車内では、カップルがディープキスし合い乗客同士がニンマリし、パンクなモヒカンもいて、子供の物乞いもいて、颯爽と風を切って歩くモデルのような女性もいる。全てが渾然一体となっている。


この街をもう少し歩き、街の匂いと熱量を感じてみたい。




*1 マンッタンの地図を見ると隅田川と荒川に挟まれた中州の江東区墨田区(深川など江戸時代のメジャーな場所)と地勢が似ている。

*2 良いか悪いかの話は割愛します。


アメリカ労働体験記2

 

f:id:yueta:20181125223510j:plain

フィラディルフィアに着いて六日目。

到着翌日から仕事が始まった。
日本食レストランのウエイター。
日本食レストランと言えば、現地在住の日本人が利用するのかと思えば、100パーセント地元の人。
フィラデルフィア郊外の閑静な住宅地に住むアッパーミドルな白人が殆どだ。余裕のある人が多いせいか、物腰も柔らかく、紳士ばかりだ。

日本食は、アメリカ流の独自の進化を遂げ、日本では見かけない日本食も多い。
牛肉やホタテ、ロブスターの鉄板焼き。アボガドやチーズを挟んでドレッシングで食す「カリフォルニア巻き」、砂糖を入れる緑茶などだ。

きっと日本でも、インドにないインド料理(ナンなど現地では通常見かけない)、中国にない中華料理(八宝菜や海老チリ)があるので同じことだろう。

ウエイターなのにお客さんの言ってることが聞き取れないことも多々あるが、徐々に慣れてきた。電話でのテイクアウトのオーダーは逃げ出したくなるが…。 

ウエイターの給与の大半はチップにかかっている。お客さんに満足してもらって何ぼくるかが問題なのだ!

今までチップなんて面倒で非合理的なシステムだと思っていたが、サービスの質、お客の満足度、こなした客数に比例してチップが増えるから見方によっては合理的である。一日の〆のチップ勘定が楽しみになってきた。


ここで働いている面子は、

ここのレストランを経営している日本人のボスに、俺をここに紹介&導いてくれたTaka(写真)と俺を含め、全部で4人に、中国人1人、香港人1人、ベトナム人1人、インドネシア人1人、メキシコ人1人(写真)と多彩だ。

ウエイターは、同室のインドネシア人(男)と繁忙する週末に来る香港人(女)。Takaは厨房を任されている。同じウエイターの香港人は、中国語も話せるので何かと困ったことがあっても意思疎通が図りやすい。


次回も、ここでの生活について書いてきます。



********************************************************
【経緯&補足】

今回の渡米は、インドのビザも取得してインド行きの準備も整いつつあった蒸し暑い8月中旬のこと。一時帰国していたTakaと原宿で飲んだときに前触れもなく誘われた。相当悩んで在米経験のある友人にも相談し・・・・


旅行でアメリカへはいつでもいけるが、労働だけでアメリカへはなかなか行けない。今までの中国、アジアでの体験がベースにある自分に更に新しい要素、刺激を加えてみよう。何事もやってみて得るものは必ずあって、損はしない。

何でもやってやろう。何でもみてやろう。


と言う結論に達し、今回のフィラデルフィア行きになった。


何事も実際の生の場所に身を置き、そこで得られた実感こそがホンモノであって、自分自身でオリジナルに感じ取る力をもっと養っていきたい。
「書を捨て街に出よ」は、まだまだ続く・・・

それから自分のやろうとしているテーマに迫っていっても遅くないのではないか。


そう思って今ここにいます。



********************************************************

写真1 厨房にて

アメリカ労働体験記1

機内の窓からの何処までも続く鉛色の雲海。
地平線の彼方まで延々と続いている。

雲の上にいる自分。


後方には西日が輝いていた。西方の黄色の優しい光は、大日如来
-----俺の左手首には以前チベットのラサ・ジョカン寺前で買った数珠が巻かれている。


飛行機が少しづつ高度を下げ雲の中に突入し、少し大きめの揺れを感じる。 ガタガタと機内の揺れが気になり出したとき、視界が開けた。

殆どが漆黒の闇に染められた空。しかし、まだ塗られ忘れた紅の空の一片が残っていた。


眼下は、キラキラと輝くオレンジ色の街。

大きな川の対岸には、東京の街に似た、レインボーブリッジのような橋があって、代々木のドコモビルのようなタワーが見えた。川の下流には工場の煙突群があって川崎か横浜のように見えた。高速道路が縦横無尽に郊外まで延び、多くの車が急かされたように走っている。


飛行機が旋回して高度を下げるたびに、オレンジ色の光の塊が、デジタル画像のドットのようにひとつひとつリアルに見て取れた。


このオレンジ色の光のなかの一つ、二つ、いやそれ以上の中に俺はこれから飛び込んで行くのかと思うと胸が高鳴る。


アメリカ合州国フィラデルフィア


生まれて初めて立つ大陸でこれから始まる数ヶ月間。
俺は、何を見て、何を感じるのだろう。果たして、成田の搭乗前に流した涙を何に変換できるのだろう。


現地時間10月24日19時。


大きなバウンドと共に
フィラデルフィア国際空港に無事着陸した。

 

中国人社長との最終面接1

「中国留学されたんですね、じゃ、今ここで中国語で自己紹介して」

「この経歴書であなたが40歳なら私、許しませんよ!」

「で、血液型は?」


都内のアパレル関連企業の営業職。
中国の自社工場(3000人規模)がある。
都内向け法人営業の求人。
面接にあたったのは、専務取締役のおばさん。
テカテカ光った真っ青なスーツ。
シャネルの異様に大きな眼鏡に彼女の圧倒的顕示欲を見る。

外見もさることながら、銀座のママさんみたいな
フツーに隣近所で買い物をしていそうなおばさんには 見えない。海千山千の貫禄が滲み出ている。

「なぜ、今まで中国関係の仕事に就かなかったの?」

「あなたの中国に対する思い入れは分かりました。

しかしですね、あなたには優しさという弱さが透けて見えるんです。
営業は理不尽なことを言われても耐える力が試されるんです!」

「(オーダー通り)数千個生産して、いざ持っていくと
『こんなんじゃない、作り直せ』と無理難題を言ってくるお客さんもいるのよ。
それをソフトランディングでお客様さんに納得してもらうことができますか。」


根掘り葉掘り質問され、防戦一方の面接が延々一時間。
面接部屋を辞した瞬間、力が抜けて抜け殻になる。

 

 

その夜電話が鳴った

 

「 面接が通りました。最終面接です」

 

 

中国人社長との最終面接2

 

社長は中国人だった。

前半は中国語、後半は日本語だった。
 

社長のほかに前回のおばさん専務も一緒だった。


社長からは、私の中国の関する経歴を散々聞かれた。

曰く、

「君は、シルクロードとかチベット雲南、広西など風光明媚な 綺麗な中国しか見てない!」




「四川の成都には5回行きました。」

といえば…


成都は、何が有名か知ってますか? そう、君の言う通り茶房ですね。茶房。
お茶ひとつオーダーすれば何時間でも居座れ単なる暇つぶしの場所。
お喋りでもマージャンでも何でも出来る喫茶店あれは成都でしか通用しませんよっ!


あそこは人口が多いですが、日本で言えば長崎みたいな単なる地方都市です。
私は上海人で成都には行ったことはありません。
しかし、上海ではあのような成都に山ほどある茶房は流行りませんし通用しません!
生き馬の目を抜くのが本当の中国であり、上海なのです。」


(故に、お前は"本当の"中国を見ていない!)


次から次へと質問が飛んでくる。


君は、中国を、中国人をどう思っているのか?


のらりくらりと、時には詰っかえ、たどたどしい中国語で話すうちに社長が言う。


「君はね、綺麗な中国しか見てないけど 中国のバックグラウンド分かってるね。
うちの社員は、中国の工場に行っても中国人に精通した人がいないんだ。
だから、社長の私が現地に飛ぶしかないんですよ。」



「写真が出来るのなら、画像処理は出来るのか?」
「今までなんでぷらぷらしてたのか?」
「今だけモーチベーションが高くても困るんだ。」
「アパレルとか言うけど、実際はすごい泥臭い仕事なんだ。」

二人からの質問(尋問、詰問に近い)が二時間ばかり続く。


最後に、おばさん専務が言う。



「うちの会社にいらしたらどうですか。
私は、あなたの母親になったつもりで世話します」


「明日までに返事をします」


即答は避け丁重に挨拶し社屋を辞した。


面接が終わって、


中国人経営者の職場にいたことのある友人に電話。
就職活動仲間にも聞いてもらう。


散々相談する。
それでも埒が明かず、高円寺の韓国料理店で酒を煽る



朝まで考えた末、内定を辞退した。


労働条件、自分の興味範疇、 今までの労働体験を考えての結論だった。

 
俺は決断力がない。

優柔不断。
なにか決断を迫られると右往左往する。


「君は、なんでもかんでも人の意見を訊き過ぎる。」

友人に言われた言葉を思い出した。



しかしながら、今回の三回の面接(合計3時間)は いい勉強になった。


例えば、自分が中小企業の経営者(または人事担当)だったとして
30過ぎの男を雇うとしたら...

経歴書、履歴書を見れば自由極まりない人生。
そこからプラスな要素をいくらすくい取ったとしても


「せっかく教育(投資)しても また何処かに行ってしまうのではないのか?」


この問いは、(経営という)営利活動をする側から言えば、 至極当然だと思う。


”リスキーである"私に対する危惧、懸念を払拭するに足る 誠意と説得性。


それに尽きるんだなと実感した。


ピアノや書道のようなお稽古ごと、一種の教養と割り切っていた中国経験が、ひょっとしたら仕事に繋がるかもしれない。


そんな予感に触れられただけでも貴重な体験だった。


もう一息頑張ってみます。

 

 

 

ホストホスト体験記5

ドンペリコールだ。


ドンペリをオーダーしたお客様に感謝の意味を込め、ステージに上がってもらい、店中のホストが一斉に集まる一大パフォーマンスだ。


はじめに「飲みキャラ」が現れた。色白で金髪のサングラスをかけた背の低いホスト。上半身裸だ。長年のホスト生業のためか、若いのに腹は太鼓のように出ていて痛々しい。


その彼が一気に走り壇上に上がる。白のドンペリ一本が渡される。お客様は、(やはり)金髪でパンダメイクで黒い肌。風俗嬢だろうか。彼女にも白いドンペリ一本が...

開けたと同時に噴出す泡は店名の金色のロゴの入った壁に勢いよくぶちまけられた。店の高揚感はピークに達する。


それから爆音のBGMの中、ホスト一同が壇上を見上げ跪く。歓声の中、飲みキャラの彼はほんの一瞬で飲み干す。彼女はそんなもの一気に飲み干せるわけがなく、代わりに違うホストが残りをラッパ飲み。


あ、やっと終わった

と思えば、跪くホストの中から(彼女の指名ホストだろうか)「ロゼ!、ロゼ!ロゼ!」とコールが上がる。(ロゼは白より高い)

彼女は歯に噛み笑顔でOKし、何処からともなくロゼが2本差し出される。またしても一気飲みだ。彼女は今回はハンディでロックグラスの中に満たしたドンペリを一気飲み。拍手が上がる。


(トイレで弱音を吐いていた)同席の先輩ホストによると、一本最低でも12万はするとのこと。すると今のドンペリコールだけで最低でも50万はする。開始から終わりまでの賞味10分で50万...

50万あれば、写真学校の年間学費、3ヶ月撮影旅行いるなぁ、ハッセルブラッド(中判カメラの「ライカ」みたいな高級品)フル装備新品で買えちゃうな、デジカメもいけるな、など勝手な勘定をしてしまう俺がいた。


僅か10分で得られる優越感。そして。入れ上げてるホストのランキングを上げてるのは私!という「育ててあげてる感」の充足。 酒池肉林というコトバが浮かんだ。




マズロー欲求段階説

人間の欲求の段階は、生理的欲求→安全の欲求→親和の欲求→自我の欲求→自己実現の欲求がある。ピラミッド状に上に進めば進むほど高次の欲求である。

果たしてこのドンペリコールの欲求は何なのだろう。物欲でも生理的欲求でもない。意外に高次な欲求なのだろか、それとも物欲に即した低次ものなのだろうか。




俺のいた席のサヨリはかわいいものだ。真露一本にお茶だけで引っぱる引っぱる。所謂「細客」だ。(「太客」とは月に100万落とすお客さん。「極太」となると一日で100万だそうだ。)

それでも小サイズの真露は酒屋ではは700円前後なのが、ここのホストクラブに置かれた途端8000円になるし、お茶1リットル(恐らく裏方さんが入れたもの)で1000円だ。水商売とはこういうことなのだ。


ドンペリコールの終わった辺りから激しい疲労感が襲った。


思えば、昨日は親父が上京して、夕方から関西から遊びにきた友達と東京観光して、今日は仕事終わって歯医者行って、そのあと新宿でまた友達に会って、ここに来たわけだから当然かもしれない。


マネージャーのリクさんが店に入る前に「雰囲気に耐えられなくなったら声かけて出てください」と言ったことを思い出した。


サヨリも相当まったりモードだ。30分くらい経っただろうか。係りの人から控え室に戻るように指示された。どうやら約束の「始発の時間」らしい。内心ホっとする。


自分のグラスを飲み干し、サヨリや同席のホストに「ありがとうございました」と一礼し退席した。



控え室に戻る。 



リクさんが「ありがとうございます!」と体験入店で一緒だった溶接工二人組と硬い握手を交わしていた。現在の静岡での溶接の仕事を辞めて入店を決めたらしい。

彼の人生の分岐点に居合わせた気分だ。続いて大学生二人組も同様に入店することになった。ある一線を越えた彼ら。これからどんなことが待ちうけてるのだろうか。



そして俺の番...



「ナツキさん、お疲れ様でした。今晩入店してみてどうでしょう、これから」


「いや、ちょっと雰囲気が合いませんでした」


「ナツキさんは、実年齢より若く見えるので問題ないですよ。取り合えず、6日間の研修期間受けてみて一通りのマナーを覚えて、出来れば週一ペースでもいいので出てみませんか?」


随分と押しが強い。

今後の撮影日程、今の肉体労働の日取りのバランスを考えてなどいろいろ言って納得してもらい、丁重にお断りした。


あの青森くんも店内で「地元では仕事ないから東京で一旗上げる」と息巻いてたし、知っている範囲内で体験入店者8名中、5人が入店することになった。

湘南台のフリーター&ニート君はどうしたのだろう。彼らもOKなら俺だけが"晴れて"唯一の「落第生」だ。


スーツを脱ぎ私服に着替え、サンダルに履き替え、リクさんにお礼を言って控え室のバーを出た。



もう朝だ。


鉛色の重たい雲が低く垂れ込め、ムラっとする湿った空気。今にも雨が降り出しそうだ。


帰りの電車から新宿の街が見えた。


今まで「新宿」をそれなりに把握しているつもりだった。街の一角一角に、あの日あの時の記憶があちこちに散りばめられている。

今回、ほんの一夜だけ歌舞伎町のビルの一室に身を置いただけだが、虚栄と儚さと刹那さ、優越感がない交ぜになった、カネと時間を高密度で消費する新宿という街の違った一面を見た気した。「新宿」の印象に一石を投じられた思いだ。


帰宅し、煙草の煙と汗で汚れた身体を洗いにコインシャワーへ急いだ。


かび臭いシャワー室。蚊がいた。百円玉をチャリンと入れ、「約束の3分間」で思いっきりその日を洗い流した。

3分後。


機械的に--自分の意に反し---シャワーの水が止まった。



その瞬間、日常に戻った。




俺には、ヘルメットと安全帯が良く似合う。

汗水流してクタクタに働くほうが向いているようだ。

俺の香水は、やっぱり汗なのだ。





----- おわり -----




追記
これからも書を捨て街に出ます。さて、次回はどうしましょうか。